CELL
2014.10.30
【トークライブin CELL】第14回:林進先生が語る「美しい本を造った人たち-角倉素庵とウィリアム・モリス-」が開催されました。
2014年10月16日(木)にメディアライブラリーCELL CE104にて、第14回トークライブが開催されました。
今回は大学院兼任講師の林進先生のお話を伺いました。
タイトルは「美しい本を造った人たち-角倉素庵とウィリアム・モリス-」です。
国も時代も異なる素庵とモリスですが、二人の間にはいくつもの共通項があるとのことでした。まずは、富裕層の家庭に育ち資金面で恵まれていたこと、高い教養と文化的・芸術的感性に富んでいたこと、良きパートナーと言える画家(素庵の場合は俵屋宗達、モリスの場合はエドワード・バーン=ジョーンズ)と組むことができたこと・・・そしてなによりも“美しい書物をつくりたい”という理想が最大の共通点でした。二人はそれぞれ、自身で活字書体をデザインし、用紙・印刷・装訂まで全ての工程を自身がプロデュースするという形で書物づくりを行ってきたそうです。
一方で相違点もありました。それは西洋と日本の違いでもあるそうですが、書物の発行者に関する記録です。素庵が嵯峨本を作成していた当時の書物には、発行者の記録が全く残されていないのだそうです。反対に、モリスの作った書物には書誌事項が詳細に記されているそうです。また、嵯峨本の場合は自身や同時代の作家の本はつくらず、『伊勢物語』や『源氏物語』などの過去の名著・芸能書などを出版していたのに対し、モリスの場合はモリス自身の著書や同時代の文筆家のものを出版していたそうです。活字書体のデザインについても、モリスは過去のイタリアやドイツの書体をもとにデザインしたのに対し、素庵は書家でもあった自身の筆跡をそのまま書体に起こすという独自のデザインを行っていたそうです。その書体は、流れるような美しさとともに現代の文字に近い読みやすさを持っており、とても洗練されていたことがわかります。
宗達による金銀泥下絵の素庵の書(謡本 三井寺)、嵯峨本『謡本』、バーン=ジョーンズ挿絵のケルムスコット・プレス版『サア・イザンブレイス(Syr Ysambrace)』(No.48:1897年)など、普段なかなかお目にかかれない現物資料を実際に手にする機会を得ることができました。いずれもとても美麗で上品。
モリスは“書物”と“建築”を同じものだと言ったそうです。ひとつひとつの工程が細やかにデザインされたこれらの書物を眺めると、それはまさに家づくりに匹敵する精巧さを要する仕事だったのではないかと実感しました。
ウィリアム・モリスの名は、プロダクト・デザインなど出版物以外の場面でも耳にすることはありますが、現在、角倉素庵という人物は残念ながらあまり世に知られていません。しかし今回のお話で、モリスより約280年(!)も早く「嵯峨本」という贅沢で美しい書物をつくった日本人がいたこと、その存在が印刷文化史上とても重要な役目を担っていたことを知り、誇らしさを感じるとともに、改めて“書物”について考えるきっかけを得たように思いました。
タイトルは「美しい本を造った人たち-角倉素庵とウィリアム・モリス-」です。
国も時代も異なる素庵とモリスですが、二人の間にはいくつもの共通項があるとのことでした。まずは、富裕層の家庭に育ち資金面で恵まれていたこと、高い教養と文化的・芸術的感性に富んでいたこと、良きパートナーと言える画家(素庵の場合は俵屋宗達、モリスの場合はエドワード・バーン=ジョーンズ)と組むことができたこと・・・そしてなによりも“美しい書物をつくりたい”という理想が最大の共通点でした。二人はそれぞれ、自身で活字書体をデザインし、用紙・印刷・装訂まで全ての工程を自身がプロデュースするという形で書物づくりを行ってきたそうです。
一方で相違点もありました。それは西洋と日本の違いでもあるそうですが、書物の発行者に関する記録です。素庵が嵯峨本を作成していた当時の書物には、発行者の記録が全く残されていないのだそうです。反対に、モリスの作った書物には書誌事項が詳細に記されているそうです。また、嵯峨本の場合は自身や同時代の作家の本はつくらず、『伊勢物語』や『源氏物語』などの過去の名著・芸能書などを出版していたのに対し、モリスの場合はモリス自身の著書や同時代の文筆家のものを出版していたそうです。活字書体のデザインについても、モリスは過去のイタリアやドイツの書体をもとにデザインしたのに対し、素庵は書家でもあった自身の筆跡をそのまま書体に起こすという独自のデザインを行っていたそうです。その書体は、流れるような美しさとともに現代の文字に近い読みやすさを持っており、とても洗練されていたことがわかります。
宗達による金銀泥下絵の素庵の書(謡本 三井寺)、嵯峨本『謡本』、バーン=ジョーンズ挿絵のケルムスコット・プレス版『サア・イザンブレイス(Syr Ysambrace)』(No.48:1897年)など、普段なかなかお目にかかれない現物資料を実際に手にする機会を得ることができました。いずれもとても美麗で上品。
モリスは“書物”と“建築”を同じものだと言ったそうです。ひとつひとつの工程が細やかにデザインされたこれらの書物を眺めると、それはまさに家づくりに匹敵する精巧さを要する仕事だったのではないかと実感しました。
ウィリアム・モリスの名は、プロダクト・デザインなど出版物以外の場面でも耳にすることはありますが、現在、角倉素庵という人物は残念ながらあまり世に知られていません。しかし今回のお話で、モリスより約280年(!)も早く「嵯峨本」という贅沢で美しい書物をつくった日本人がいたこと、その存在が印刷文化史上とても重要な役目を担っていたことを知り、誇らしさを感じるとともに、改めて“書物”について考えるきっかけを得たように思いました。